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2021年04月25日

芦田愛菜さんの「信じる」について、衝撃を受けた結果・・・

去年の夏の頃だったか、朝の情報番組で、芦田愛菜さんの「信じる」についての哲学的な解釈というか、そんな感じのMCの言葉が耳に入ってきた。「信じる」というのは、自分自身が相手に対して「きっとこうだ」と思い、それに対して相手がその枠から外れるか外れないか・・・的な解釈をしたことを覚えている。
それが事の始まりだった。そこから猜疑心が巨大化して私を支配するようになる。今も支配され続けているのだけれど。
あれやこれやと行動するうちに私が信じるアナタはどこにもいなくて、信じたくない証拠が出てきて、悲しくて、やりきれなくて、眠れなくなって、食べられなくなって。
そして心のクリニックの扉をたたくことになった。薬を飲んでも眠たくなるだけで、心は曇ったままで、悪態ついて、家飛び出して、怒られて、怒らして。クリニックに通っていることを告げても何も変わらない毎日。私が信じるアナタは、私の創造物だからアナタではない、ということが理解できているのに。そんなアナタを初めから知っていたのに、時間の流れとともに薄らいでいた。そして今、表面化したアナタに対して心穏やかでない日々が半年以上過ぎた。
何を言っても嘘だと思い、何をしてもお座成りにしか見えない。こんな悲しい心がいつまで持つのだろう。
私は別れようかと思う。別の私は初めからわかっていたんだから今更どうするのという。違う私は好き過ぎるんだなという。楽しくて悲しい何とも言えない日々が続く。別れないための方策を考えながら、別れを決行する時の条件も並行して考えている。アンバランスな日々から逃れたいけど、逃れるってどういうことなんだろう。堂々巡りの行き場のない日々だ。  

Posted by yuzuki at 12:13Comments(0)